2016年7月24日日曜日

【書評】シベリア最深紀行

確か今年の冬に朝日の書評に掲載されていた本。インド最奥とか中国最奥とかは、それなりに情報もあるけど、「シベリア」というと、少なくとも日本語ではなかなか情報もなくて、それだけで自分は勝手に書評から神秘感を抱いてしまい、ずっとAmazonのウィッシュリストに入っていたところ、たまたま近所の図書館にあったのを見つけて、一気に読んでしまった。

「シベリア」といっても、ひたすら凍土の原野という漠然としたイメージしか自分にはない土地の、さらに「最深」の紀行。さらにこのインパクトのある表紙。中身は表紙の雰囲気よりもとてもディープで、「シベリア=凍土の原野」という浅い知識はあっさり裏切らました。

内容は、ウラル山脈の東からバイカル湖のあたりまで、文化も風景も幅広いスペクトルがある土地を、著者がスポット的に探訪した紀行の詰め合わせ。著者の別文化に入り込む技術は、どうやら相当なものと見えて、「外界と交流を断った村」の家だとか、凍土の遊牧民のテントとかに、数日とどまって実地でインタビューしたうえで、プーチンの政治から、ソ連崩壊以降の宗教伝播状況にいたる考察まであって、この身のこなしは政治系の著書のある「筑波大の教授」というお堅い雰囲気からはとても想像がつかない。どの写真も被写体の笑顔があって、学者が単なるフィールドワークで入り込んだというより、どうみても「旅として大いに楽しんでますよね?」感が大いに伝わってきて、とてもいい感じ。

ハイライトは4~5章にまたがるトゥヴァー探訪記。「ホーミー」で有名なトゥヴァーのリアルな姿を浮き出しそうと縦横無尽に奮闘する姿には恐れ入る。チベット仏教・土着信仰・ロシア正教・カトリックなどごちゃごちゃな中に、相互の宗教が入り混じって信仰されるあたりが、非常に面白い。シャーマンからの"呪い"でカメラが動かなくなる!などのやり取りは、笑える。うん、絶対楽しんでやってるよね、これ。

ひたすら単調ともとらえがちな雄大な景色の中で淡々と日々を送るシベリアの人たち。物質的に恵まれたも都市の人たちとの生活感の対比を強く感じる紀行から著者はまとめとして次の主張を展開する。

もはやここにいたっては「ロシアのなかのシベリア」という捉え方には限界があることが露呈し、これに替わって「シベリアのなかのロシア」というべき逆転の構図が浮き彫りになってきはしないだろうか(p.196)

やや極端な主張にも見えるが、ウクライナの対立など、ロシアの強権的な姿勢が目立つ最近の情勢の中にあって、厳しい自然に耐え、多様な言語・民族を受け入れるシベリアの懐の深さは、いままさに見直されるべき時期に来ているのかもしれない。最近のヨーロッパ事情に疲れた方に是非ご一読をお勧めしたい。

再開

ようやく再開してみます。以前書いていたブログを止めてからもう4年が経ちました。もう4年も経ったのかという感じで、今思い起こすと本当にあっという間。

いや、信じられないくらい色々なことがあった。一生しないであろうと思っていた結婚をし、子供も生まれ、チャリや本やその他山用のギア(+塵・ほこり・粗大ごみ)に囲まれて暮らしていた自分が、一家の主としての毎日を過ごすようになるとは、周囲が思う以上に自分には全く想像できなかった。

新婚旅行(2013年)
世間並みにまったりとイタリアに行きました。

日が経つにつれ、いよいよ自由に使える時間も徐々に取れなくなり、趣味に使う時間は毎日を切り盛りするための時間に徐々に移行。先に家庭を築いていった友人達が、徐々に「普通の人」になっていく姿は、かつて「ああなってはダメなんだよな」と思っていたけど、その姿に自分自身が少しずつ重なっていく。

とはいえ、確かに以前のように、一人でザック担いで山に行ったり、チャリをもって海外を彷徨したりということはもうなくなったけど、少ない時間を何とか活用して、トライアスロンの大会には毎年出場したり、ピンポイントでトレランやマラソンの大会には出ていたり、野心的な旅行にトライしたりしていた。

キナバル山の下山(2013年)
嫁と登頂した。天気も良く最高だった。

菅平トレイル(2014年)

家族がいる中で以前と同じことはもうできないけれども、家族も一緒に、あるいは家族に応援されながら色々遊ぶ楽しみ方でも自分の色を出していけるのかなという手ごたえが、実験的な模索を通じて徐々に出てきた感じがする。

子供が生まれて1年、トダバタだった生活の中でも、自分の生活を朝方にシフトして、若干使える時間が増える中で、かつての自分の雑記を見返すに至り、もう昔の生き方はできないけれども、自分の思い描いていた方向に生活をシフトしようとしている自分の模索ぶりを、いまなら書けそうな気がしたという感触をつかめたのでこのタイミングで再開してみます。

Facebook もあるけれども、繋がっている人への遠慮があって好きなこともあまり書けなくて、若干うずうずしていた面もあったのかな。気兼ねして書けなかったことも思う存分書いていきたい。